小西政継の意味 登山用語

小西政継(こにしまさつぐ)

小西政継は、1938年に東京で生まれ、1954年に中学を卒業後、活版印刷会社に入社した。会社の山岳部の山行で見た谷川岳の一の倉沢の岩壁に感動し、1957年に山学同志会に入会した。

1967年に遠藤二郎、星野隆男と共にマッターホルン北壁の冬期登攀に成功する。1971年にはグランドジョラス北壁の冬期登攀に成功するものの、凍傷で手足の指ほとんどを失った。1976年には山学同志会でジャヌー北壁に登頂成功。1980年はカンチェンジュンガ主峰北壁の無酸素登攀を指揮し、登頂を断念。1982年、日本山岳協会の合同登山隊の隊長としてK2北壁の無酸素登攀の登頂、隊員の遭難により登頂を断念。1984年には「クリエイター4000」を設立し、本格的な登山から退いた。1993年にマッキンリーに登頂。1994年にシルバータートル隊同人に参加し、タウラギリT峰に登頂、初の8000m峰登頂を果たす。1995年、シシャパンマ中央峰に登頂。1996年、マスナルに登頂後、消息が途絶えた。