長谷川恒夫の意味 登山用語

長谷川恒夫

長谷川恒夫とは、1947年神奈川県生まれの登山家である。1963年に株式会社日本コロムビアに入社し、同時に兄の影響で登山を始める。

1971年には日本コロムビアを退職し、社団法人日本アルパインガイド協会の公認ガイドとして活動を始める。1973年には第2次RCC主催のエベレスト登山隊隊員として初の海外登山を経験し、標高8300mに到達している。1977年から1979年にかけてヨーロッパアルプス三大北壁の冬季単独初登攀を世界初で達成している。1981年にはアルパインガイド長谷川事務所を設立し、アコンカグアに登頂している。1991年、パキスタンのウルタルU峰登山中、雪崩に巻き込まれて遭難した。享年43歳であった。

1993年に東京都山岳連盟により「日本山岳耐久レース(長谷川恒男カップ、ハセツネカップ)」が毎年開催されているが、今では伝説のクライマーと言われている長谷川恒男がかつて東京都山岳連盟に所属していたことから、そう呼ばれている。