三浦雄一郎の意味 登山用語

三浦雄一郎(みうらゆういちろう)

三浦 雄一郎は、1932年青森県生まれの、プロスキーヤー・登山家でもある。幼少期は体が弱く病弱であり、小学校4年生から5年生時には結核で肋膜炎を患い長期入院しており学校には一年の半分も通えなかったという。

運動神経はすばらしく、スキー分野で実績を重ねていった。大学進学の際も、スキーができるという理由で北海道大学を選んでいる。1964年にはイタリアで開催されたスピードスキーに日本人初で参加し、時速172.084キロの当時世界新記録を樹立している。この大会の前に、航空研究所の風洞実験室を利用し、空気抵抗の少ないスキーウェアを開発している。

1966年には富士山での直滑降を成功させている。この時にブレーキとして使用したパラシュートが、のちにパラグライダーになった。1970年にはエベレストのサウスコル8000m地点からの滑降を成功させ、ギネスブックに掲載された。54歳で南米陸最高峰アコンカグアからの滑降を成功させ、世界七大陸最高峰全峰からの滑降を成功させている。

2003年エベレストに当時世界最高齢となる70歳7か月での登頂を成功させ、同時に二男・豪太との日本人初の親子同時登頂でもあった。2013年、世界最高齢となる80歳でエベレスト登頂を果たし、下山途中体調不良になり5300mのベースキャンプまでヘリコプターで下山している。実父は山岳スキーヤー、妻もアルペンスキープレーヤー、長男は競技スキーヤー、二男はリレハンメル・長野オリンピック出場したモーグル選手、とスキー一家である。