今西錦司の意味 登山用語

今西錦司

今西錦司は、1902年京都府生まれの登山家、探検家、理学博士、生態学者、日本の霊長類研究の創始者であり、岐阜大学・京都大学教授を歴任する。1992年で亡くなるまで、自分の好きなことをやるという姿勢を貫いた人であった。

今西が生涯の仕事とした「パイオニアワーク」は、地図がまったくない場所に自分で道筋を書き込んでいくことだった。生涯日本の1500山を登ることを目標にしていたともいう。今西は小学生の頃は昆虫採集に夢中になり、中学生では登山に夢中になり、学生時代には日本アルプスの未踏峰を登頂し、登山家として名をあげていった。

1948年、生態学として野生の馬を探しまわっているところに猿の集団に遭遇し、サルにも社会性があることに気がつき、猿に社会性があることに気がついたことをきっかけに、猿の研究にすすんだ。これが日本の霊長類研究のレベルを押し上げる機会になったという。1973年からは日本山岳会の会長を4年間にわたって会長を務めた。